子ども美術教室☆here☆

子ども/大人美術教室☆here☆主宰 since1998

子ども/大人美術教室 ☆here☆(nowhere、尼崎市)

11、12月生徒募集♪ 毎週火曜日、土曜日11:30〜14:30〜(応相談)

授業_形式 フィギア、スケッチ、水彩画

◆内容 「プテラノドン」「柿、レモンのスケッチ」(3、6年生)

◆道具
・基本道具:筆記用具(鉛筆、消しゴム)、スケッチブック・クロッキー帳(マルマン)、水彩絵具セット(各自)、マーカー(COPIC sketch、ほか)、色鉛筆(あるもの)、定規(三角、30㎝、50㎝、75㎝、雲形、分度器)、磁石のアルファベット(あるもの)、スピログラフ/DesignRuler(あるもの)、サラサクリップ0.5(ゼブラ)、折紙(トーヨー、ダイソー
・課題:『プテラノドン』(科学と学習社)、ラジオペンチ(ダイソー)、柿(奈良「こもれび」)レモン(チリ産)、オカリナ

◆科学 理科、美術(力の釣り合い、ものの溶け方、昆虫と植物、水彩画)

◇参考図書、URL

・『ぼくがとぶ』ささきまき さく 福音館書店 1975年6月発行
・『日本の伝統色』日本色彩研究所 編 福田邦夫 著 読売新聞社 1996年5月第12刷
・『おかあさんとあそべる3・4才の おりがみ』高木智 著 高橋書店 1998年9月発行
・『新製図法入門』長尾勝馬 著 学芸出版社刊 昭和54年4月初版8刷発行
・『ワシントン女性芸術美術館展』カタログ 1990年
・『マリー・アントワネット物語展』ベルナール・ジュヴァリエ 監修 東映 1912年発行
・『子守歌の絵本 ララバイ ソング ブック』絵 構成 編曲 ヴィオラ・アン・セドン Lifro 1990年9月

◇分かったこと 気づき

・公園で、大きなシャボン玉を作っているご家族にまぜてもらって一緒にシャボン玉を作りました。
・上手くできないときは、作り方をよく見せてもらいました。
・絵本にでてきた、たくさんの「セイウチ」の数を数えることになりました。
・賞状の丸筒のケースの穴が面白いらしく、似ている万華鏡を出しました。
・「橙色だよね。朱色だよね」と言葉が豊富になっています。
・皿も赤柿も橙とまじって、巨大な赤になるので「輪郭線をいれなさい」というと「りんかくせんって、なんですか」

・『ぼくがとぶ』という少年の冒険の絵本の解釈は、それぞれですね。
・「色彩」は柿の色を調べ「橙・茶」の中に、「柿色」がありました。でも違った。
・「レモン色」もレモンと違うと感じています。
・真ん中で二つに切ってお皿にのせます。
・名画カードのとくに古いものは、その人生の岐路などにスポットを当てて、興味をひくように工夫がいる。

❖基本学習

3年生

・お迎えをします。
・秋祭りの山車がでています。
・太鼓を打つ真似をします。お祭り好きですね。
・「ぼく入賞したよ」とコンクールの報告をしてくれました。すばらしい!
・公園ではいつもどおりタイヤブランコ。
・大きなシャボン玉を作っているご家族にまぜてもらって一緒にシャボン玉を作りました。
・上手くできないときは、作り方をよく見せてもらいました。
・ありがとうございました。
クヌギの木から葉っぱをもらってきました。
ポケモンのボールをゲットして移動、教室に入ります。

・手洗い、うがいをします。
・今日の課題の果物、「柿」「レモン」の重さを測ります。
・表にして、柿は、210g、142g、205g。
・グラムの字に特徴がありますね。
・レモンは、100g、105g。
クヌギの葉っぱの裏に虫の卵がついていました。
・ネットで調べます。
・「ほら、カメムシの卵に似てないか」「似てる」。

・今日やることを書きだします。
① カード 絵本
② 色   時間があればクヌギの色
③ 運筆  時間があれば
④ 課題  プテラノドン、柿の絵

・カードは「あいうえお順の絵本」で「ぼ」です。
・時間をとってゆっくり見ました。
・『ぼくがとぶ』(ささき まき)
・自分から読み始めてくれましたが、言葉が少なかった。

ぼくが なにを つくっているか きみには わかるかい

・そう始まって、工房のような部屋が描かれています。
・漫画風で、細かく道具が並んでいます。
・読み進めて、プロペラ飛行機が完成。
・一度目の飛行は失敗して鶏小屋におちました。
・「この逃げ出した鶏は 来年の年賀状にはならないね」「これにしよう」「...」
・もういちど作り直して、飛翔します。
・プロペラ飛行機は、ゴッホの生まれたオランダ風の景色上空を通り、両親へご挨拶して高くあがります。
・イタリアの「紅の豚」風な景色を通過、「星の王子様風」な砂漠を通過、古風な中央ヨーロッパの城はフランケンシュタイン実験中か。
・さらにプロペラ機は星空を進んで、とうとう陸の出ているアイスランド風な場所へ。
・そして北極圏のセイウチ(海象)のところへやってきました。

おーい、おーい、きみたち ぼくは とんできた! 

・そらには緑のオーロラのカーテン。
・たくさんのセイウチが好奇心でこっちを見ている。
・ラストにはおおきなセイウチと少年が写ったセピア色の写真が。
・少年の冒険の絵本でした。
・道具箱をひっくり返したような工房をもう一度見ていきます。
・「のこぎりはどれ」「ペンキはどこ」「ドライバはどれ」「スパナはどの」と聞いていきます。
・こんどは逆に質問されました。
・とうとうたくさんいる「セイウチの数」を数えることになりました。
・「横一列ならそう決めて数えないと」
・だいたい156頭でした。

6年生

・車で移動します。
・教室に到着、手洗いとうがいをします。
・筆談雑談をします。
・6年生総合運動会があって、50m走、100m走、ボール投げなどしたんだと。
・ボールの投げ方が分からなかったと。そうかあ。
・渡しておいた「ムナーリ」の絵を写してきてくれました。
・短時間で良く描けています。

・今日やることを書きだします。
・まずはカードから。
・名画カードは難しいので、絵本から。
・『ぼくがとぶ』(ささき まき)。
・少年の冒険ものとは読めずに、「鶏小屋を壊してしまったので、借金して逃走するお話」ということです。「へー」
・最後の「セイウチとの記念写真」がセピア色であることに、ヒントがあるように思います。
・作者はきっと、古い写真をみて、青春時代の冒険を懐かしんでいるのではないか。
・これを子どもが見るとどう思うんだろう。

・「色彩」は柿の色を調べました。
・「橙・茶」の中に、「柿色」がありました。でも違った。
・スケッチのときに、「レモン色」がレモンと違うと感じます。
・照明が原因でもあるし、自然光で見てみるといいが、外は暗い。
・実は「橙色」、葉は、「苔色」「桑染」。

・折紙は「サンタさん」と「ちりとり」。
・図形は、「正三角形」を定規とコンパスで描きました。

❖今日の課題

3年生

・次は課題の「プテラノドン」です。
・前回は下あごを取り付けるのを忘れました。
・首と頭のボルトを外し、再び取り付けます。
・頭に下あごをつけて、順序を間違えないようにボルトで取り付けます。
・広がった下あごを、ハサミみたいなラジオペンチで挟んで、L字に折ります。
・ラジオペンチは先端をつかっています。
・理容用のこてのように挟んでL字にするんだと手本をみせます。
・70度から直角に折りました。
・次の「ステップ3 翼(皮膜)を組み立てる。」のパーツをパットにだします。
・「A」と「B」をしました。
・「B 左の翼を組み立てる。」は、部品の順番とパッドの向きをちゃんする。
・今日はそこまで。

・少し休憩。
・絵画コンクールの賞状の丸筒のケースの穴が面白いらしく、覗いています。
・お互いで覗いて、目があいます。
・万華鏡を出します。
・キラキラの中身と音に興味があります。
・ケースを立てて、息や団扇で倒します。
・なんでも遊びになりますね。

・課題の2のスケッチをします。
・「お時間ですよ、急ぎましょ」どこ吹く風という感じ。
・「先週はヘタ(軸)が大事といったら、りんごのヘタの絵を描いたね」
・「今日はすこし斜めにして、わかりやすくしよう」
・それでも上から描きたい。
・説得してやや斜めに、円と葉と軸と皿を鉛筆でかきました。
・色を塗ります。
・「橙色だよね。朱色だよね」と言葉が豊富になっています。
・絵の具をのせすぎです。筆もミスマッチ。
・「広い面積は太い筆でぬろう」
・「まず柿を見なくちゃ。みなくちゃだめだ」
・橙色、黄色と置いていきます。
・皿の色は「みかん」の時のように赤にしたい。
・柿の橙に皿の赤。マチスの色合いか。
・皿も柿もまじって、巨大な赤に。「輪郭線をいれなさい」
・「りんかくせんって、なんですか」
・物には輪郭線がないのに、輪郭線を描かせる矛盾。
・「葡萄」のときの絵をみせて、こんな感じの形を浮き立たせる影のような線だ。
・柿と皿の間に明確な線を入れました。

・詰め詰めの授業になりました。
・授業の①は一時間目、②は二時間目と思っていてくれてます。

6年生

・つぎは課題です。
・今日は「レモン」を描きましょう。
・絵具セットをだして準備します。
・切ったレモンを描きたい。
・真ん中で二つに切ってお皿にのせます。
・良い香りがひろがります。
・レモンの袋の線はなぜか省略していました。

・名画カードの紹介をします。
・今日は、エリザベート・ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン(1755-1842、フランス)。(※参照)
・「まえに役に立つ仕事、たたない仕事があって、「芸術」も役に立つかもしれないし、って言ったよね」
・質問がつまらないらしく、問いかけ自体が絡んでいない。
・動画の「ピコ太郎」さんや「はじめしゃちょー」さんたちは、面白いか、面白くないかであるからな。
・一般教養でもあるので紹介します。
・ルブランの経歴をかいつまんで読みました。
・12歳で絵で家族を養うほどの腕前。
・12歳年上の画商、鑑定家、画家のジャンと結婚。
社交界とつながりを持ち、マリーアントワネットを描くようになる。
・王立アカデミーに異例の歴史画家として入会する。
・「倫理」の授業みたいになってるか。
・以前に観に行った『マリー・アントワネット展』の図録を出し、追加して紹介します。
・さらに、フランス革命がおこって亡命しました。
・外国でも腕がいいので歓迎され、ロシアでは長く滞在しました。
1802年に帰国を許されました。
・最後は歴史の資料としても用いられるなど、最も成功した女性の画家だったそうです。

・レモンの絵の方は、もわずかな色の混色で感じのいい色を作っていました。

・オカリナの練習をします。
・レモンの音階。
・リコーダーがいい。
・「ぴーひゃら」、音が寝転んだり跳ねたりしています。
・いい音の区別はもちたいね。
・楽譜はのこるのよ。
・いいものが出来たら「これいいね」ってアレンジしてくれる音楽の先生いるかもしれんでしょ。
・外ではポツリポツリとなっています。
・絵がかわいていないので、続きはまた次回。

❖today note

We read an adventure of the picture book.
The boy produced the propeller plane and went northward.
At last he counted the number of the walruses.

She learned the traditional name of color and real color.
Their colors differed.

❖reference

※ 参照

エリザベート・ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン(1755-1842、フランス)

 エリザベート・ヴィジェ=ルブランは、1780年代、1790年代のフランスでは、もっとも有名で最高に値の張る肖像画家の一人であった。彼女に肖像を描いてもらった人々には、ヨーロッパ各国の王侯や貴族、また、彼女の友人ユベール・ロベールのような著名は芸術家たちもいる。彼女は、肖像を依頼する人々がもっとも喜びそうな、その人にふさわしいポーズ、実際より素晴らしい衣装、独創的な背景を選ぶのに長けていた。
 あまり名のない肖像画家と美容師の娘であるヴィジェ=ルブランは、強力な縁故をもっていなかった。そのため彼女は、父とその友人たちから絵を学び、また自然を研究したり昔の巨匠の作品で勉強した。彼女が12歳のときに父が死んだが、そのときには、もう自分の絵で家族を養えるようになっていた。
 若くして彼女の評判は確固としたものになっていたにもかかわらず、ヴィジェ=ルブランの母は、彼女より12歳年上で、鑑定家、画商、画家として重んじられていたジャン・バティスト・ピエール・ルブランとの結婚を急がせた。夫のルブランには、相当な額になった彼女の収入を浪費する癖があったが、それでもなんとか彼は、彼女の画家としての実績を伸ばし、社交界との繋がりを広げることができた。
(略)
 マリー・アントワネットと個人的に親しい関係が、組織上の規則では彼女が画商の妻であるために志願できなかったはずの王立アカデミー入会を1783年に果たせた要因となった。名誉はそればかりでなく、彼女は、当時女性の入会を認めてもよいとされていた分野の肖像画家やパステル画家としてではなく、―もっとも栄誉ある部門―歴史画家として入会を認可されたのである。彼女の入会に際しての部門が公に明記されていたわけではないが、入会審査のために提出した作品は、彼女の意図に対するアカデミーの了解をしめすように、歴史画であった。≪正義の腕のなかに難を逃れる無垢≫と題された女性芸術美術館所蔵の銅版画は、その絵の複製である。1783年から1789年までのあいだ、ヴィジェ=ルブランは、2年に一度のサロン展に都合40点以上の肖像画と歴史画を出品した。
 フランス革命が勃発すると、画家のマリー・アントワネットとの友情は不利となった。1789年10月5日の夜、パリの群衆がヴェルサイユに侵入すると、ヴィジェ=ルブランは、娘と娘の教育掛りを連れてイタリアへ逃れた。それから12年間の亡命生活が続いたが、その間彼女は、画家としての、またヴェルサイユの宮廷人であったことの国際的な名声を利用して、身入りのいい制作依頼を得、また訪れた先々の国でアカデミー入会を認められた。彼女がもっとも長く滞在したのはロシアであったが、そこでの7年のあいだに、貴族たちの肖像を数多く描く一方、ぺテルスブルクの上流階級人士のスケッチで少なくとも4冊の画帖―そのうち一冊が美術館に所蔵されている―を埋めた。
 ヴィジェ=ルブランは、1802年にフランスへの帰国を許され、パリに住むことになった。彼女には確固とした名声と賢明な投資で保証された収入があったので、晩年はわずかな肖像画しか描かなかった。1817年作の油彩≪少年の肖像≫は、彼女の得意のテーマの一つ、子どもの純真さを表わしている。この絵は、ヴィジェ=ルブラン独特の技巧、つまりこの肖像でも他の作品でももっとも人を引き付ける部分である眼に生命を与える技巧をよく示している。容貌の魅力は、この絵のほかの部分の描きぶりを通してさらに高められている。子どもの黒っぽい身支度と暗い単色の背景が顔を浮き立たせ、白い襟と長い銃も見る人の注意を顔立ちに集中させている。
 ヴィジェ=ルブランの豊富な作品群は、重要で確かな記録となっている。それは注目に値する画家の才能を裏づけるばかりでなく、彼女の生きた時代の趣味や社会慣習の資料でもある。

(M.L.W./T.Y.)
Mary Louise Wood / 水沢勉

『ワシントン女性芸術美術館展』カタログ(1990年)より