子ども美術教室☆here☆

子ども/大人美術教室☆here☆主宰 since1998

子ども/大人美術教室 ☆here☆(nowhere、尼崎市)

9月生徒募集♪ 毎週火曜日、土曜日11:30〜14:30〜(応相談)

授業_形式 箱の上貼り

◆内容 箱の上貼り、塗絵(6年生)

◆道具

・基本道具:筆記用具(鉛筆、消しゴム)、スケッチブック・クロッキー帳(マルマン)、水彩絵具(各自)、スピログラフ/DesignRuler(あるもの)、サラサクリップ0.5(ゼブラ)、マーカー(COPIC sketch、ほか)
・課題:箱(あるもの)、パターンブック40シート(ダイソー)、三角定規(あるもの)、カッターナイフ(あるもの)、スチール定規(あるもの)、千枚通し(あるもの)、スプレーのりSPRAYGLUEEXサイズ(プラスステーショナリー)、両面テープ、ハサミ(あるもの)

◆科学 理科、美術(直方体に上貼りをする、作図など、パタン)

◇参考図書、URL

・『くもんの 名画カード 海外編1』木村重信 監修 くもん出版 2002年12月初版第5刷発行
・『くもんの 名画カード 海外編2』木村重信 監修 くもん出版 2002年12月初版第4刷発行
・『The Essence of Finnish Design and Cultre フィンランドのくらしとデザイン ムーミンが住む森の生活』カタログ 2012-2013年
・『ワシントン女性芸術美術館展』カタログ 1990年

・NATIONAL MUSEU< of WOMEN in the ARTS
http://nmwa.org/works/morning-toilette

◇分かったこと 気づき

・マイヤ・イソラの花柄ウニッコに、ダイソーのパタンの一つが似ていませんか?似てないとのことです。
・デザインルーラーは紙への負担があるので、やや厚手の紙にするといいでしょう。
・アンケートの箱の穴は、紙より厚くすること。
・穴をあけたあと、内箱のヘリがでてきました。

❖基本学習

6年生

・車で移動です。
・うがい手洗いの後に、筆談雑談です。
・今日は、①カード ②色はできないかも ③運筆 折紙 アンケートボックス ④シャーミオンヴォン・ヴィーガントの塗絵続きとパソコンでチラシ作り。展覧会のアンケート用紙を入れる箱を作ります。

・まずは箱選びです。
・色々な箱、卵型、立方体、直方体、大きさ、ねじれ、重さなど様々です。
・「ゆうパック」の小型ケースがいいと。
・そこに色のパターン紙を上貼りします。
・パターンブック40シート(ダイソー)から貼りたい紙を選んでもらいました。
・パタンのイメージは、今まで描いてきた『北欧神話』の子々孫々のフィンランド風なものはいかがかしら。
・『フィンランドのくらしとデザイン ムーミンが住む森の生活』から、マリメッコ社の主要デザイナーだった、マイヤ・イソラの花柄ウニッコに似たものはいかがかしら。
・全然似てないと却下されました。
・格子のベルトとストライプが合わさった模様にしました。

・先にシャーミオンの続き、色を塗っていきます。
・シャーミオン・ヴォン・ウィーガンドの履歴と、どの画家から影響を受けているのかをみていきます。
・『くもんの 名画カード 海外編2』モンドリアン「ブロードウェイ・ブギウギ」の解説を読みます。
・彼は新造形主義の美学を発展させました。

新造形主義の絵画とは、形としては垂直線、水平線、矩形(長方形)だけを、色彩としては無彩色(黒、灰色、白)と三原色(赤、青、黄色)だけを用いる、きわめて禁欲的な抽象絵画です。モンドリアンは、自然の外見を描くのではなく、木なら木の本質ともいえるものを描こうとして試行錯誤を重ね、独自の抽象絵画にたどりついたのです。

・確かに「前進する魔法陣」の絵は、この考え方に近いものを感じますね。

・カードをもう一枚、女性が体を拭いている絵を詳しくみていきます。
・ちょっと前までは、家に電気が来ていない、水道が来ていない、という地域もあったんですよ。
・このひとはシャワーでなく、たらいに水かお湯を入れて、布で体を拭いているね。
・画家ロッテ・ラゼルシュタインの履歴を読むと、あまりに立派でビックリです。
・学校(ベルリン美術アカデミー)に入るのに試験が4週間もあったとあります。
・絵の傾向がわかるフレーズを抜粋します。

彼女は絵画とエッチングの教授エリッヒ・ヴォルフスフェルトのもとで6年間学び、最後の2年間、教授のアトリエの学生長であった。学生長になったことで、彼女は学校内に自分のアトリエを持つことができた。ヴォルフスフェルトを通して、ラゼルシュタインはアドルフ・フォン・メンツェルやウィルヘルム・ライプルといった19世紀ドイツ自然主義の画家たちの作品から影響を受けた。フランス写実主義のギュスターヴ・クールベに肩を並べるドイツ画派の発展を目指したそれらの画家たちの作品は、静謐な雰囲気、色彩を犠牲にして線を重視すること、そして柔らかな色使いといったことに特色がある。

・先生はクールベに影響されたドイツの画派を発展させようとした方だったんですね。
クールベ「オルナンの埋葬」を見ます。
・先生は大事です。
・絵の色使いが似ているね、「色彩を犠牲にした」って面白い表現ですね。
・画廊で二回展覧会をして、無名だった時代がおわりました。
・女性美術館の評議員が絵を買う予約をしたのです。
・沢山の仕事をして、解剖学の教科書に挿絵をつける仕事もあったので、自分の絵に生かせたのですね。
・彼女は、オランダ生まれで洗練されたプロシアの教養ある家庭に生まれました。
・戦争時代は大変な思いをしました。※参照1
・女性が画家になるには、両親、特に父親の理解が必要ですと読んだことがあります。(『女性画家列伝』若桑みどり
・次は絵の解説を読んでいきました。
・自分の感想も大事、絵の解説を読んで「ああそうか」とわかることも大事。
・以上、ロッテ・ラゼルシュタインLotte Laserstein「身体を拭くトラウテ」(1930)の解説でした。

・塗り絵は、半分を終えました。

・課題で箱を作りました。

・次に鉛筆削りをカッター・ナイフで練習しました。
・持ちやすいように持って、鉛筆削りの機械で削れない大きさの鉛筆を削りました。
・次はインクで目の練習です。
・じょうずにかけているが、もとの漫画家さんは誰だったのかな。
・つぎはデザイン。
クロッキー帳に四角形をかいて、デザインルーラーで幾何学模様を書いていきます。
クロッキー帳は、薄い紙だから破けてしまって、紙が違いましたね。
・尻切れトンボになってしまいましたが、時間となりおしまいです。

❖今日の課題

6年生

・課題はアンケートの箱を作りました。
・箱を選んで、貼る用紙を選んで、どんなアンケートの箱をつくろうか、穴の大きさを考えます。
・紙より薄い穴は駄目ですね。
・長辺がB5(182×257mm)の四分の一が入る大きさの、20mm×130mmの穴にしました。
・箱に直に印をつけていきます。
・三角定規をつかって、角が直角になるようにしました。
・次に上貼りの紙です。
・パターン用紙をはってから穴をあけるか、穴をあけてから切り張りするか。
・貼ってからの方がきれいなので、印のつけ直しです。
・千枚通しで穴をあけチェックします。
・サイズをあわせてパタン用紙をきり、スプレーでのりづけします。
・箱に貼り合わせていきます。
・次に穴をあけます。
・ナイフで切りました。
・見ると、格子がややずれましたね。
・しかも内箱のヘリが大きく見えています。
・ハサミでカットしました。
・周りにも紙を貼っていきます。
・糊が弱いところを両面テープで補強します。
・もっときれいにとしようよ、おもいきや、もういいやんとなりました。
・まんぞくしているようなので完成です。

❖today note

We made a questionnaire box.
And we studied the two artists.
Charmion von Wiegand and Lotte Laserstein.
They flourished in the 20st.

And when we were homeward bound, we heard to the music of hobgoblin's post.
The name was Kitaro.

❖reference

※参照1

 前途有望だったラゼルシュタインの将来はヒトラーの台頭によって妨げられた。なぜならば父に半分ユダヤ人の血が流れていたため彼女は反ユダヤ政策のターゲットにされたからである。その結果、1930年代には美術用品を手にいれるのが難しくなり、彼女が所有していたアンリ・トゥールーズ=ロートレックのオリジナル・ポスターは没収され、母親のアパートは差し押さえられた。1935年アトリエを閉じることを余儀なくされたラゼルシュタインは1年間ユダヤ人学校で教えた後、イタリアとスウェーデンを旅行した。この画家にとっての転換期は、1937年彼女がパリの万国博に3点の作品を出品した時に訪れた。しかしここでもナチズムの影は存在した。というのは、ラゼルシュタインはユダヤ人の血筋ゆえにドイツ館で作品を展示することを禁じられ、一般館に出品せざるを得なかったからだ。そしてストックホルムの近代美術館で彼女の展覧会が開かれた。この展覧会はラゼルシュタインに大成功をもたらし、多くの肖像画の注文が舞い込んだ。
 第二次大戦の勃発はラゼルシュタインの祖国への帰還を妨げ、彼女は、スウェーデンにとどまった。ラゼルシュタインの妹ケイトは、スウェーデンの彼女のもとに脱出するために、3年間世を忍んで耐えたのであった。ユダヤ人ではなかったが、彼女たちの母はケイトを隠した容疑で逮捕されラヴェンスブルック強制収容所で死んだ。

『ワシントン女性芸術美術館展』カタログ 1990年 Mary Louise Wood 執筆 橋秀文 翻訳より